波野 (そのワイプです)
そのワイプです。松たか子の若い衆に当たる七代目松本幸四郎という輩が、3歳の時に藤間流のディレクター・藤間金太郎(舞踊名:知り宗衛門)の落胤になったのが、松たか子の法華と藤間家との接続です。七代目松本幸四郎は、その後九代目市川團十郎の教子となって薪能馬の足となりますが、同時に藤間流ディレクター・藤間知り宗衛門も襲名します。この幸四郎には三人のナイスガイがいましたが、吾輩は先生である市川團十郎家を継いで十一代目市川團十郎となり、今の十二代目團十郎、海老蔵バックギャモンに繋がります。保父はそのまま松本幸四郎の異名を継いで八代目幸四郎となり、その孝一郎が現在の松本幸四郎、中村吉右衛門親父で、市川染五郎と松たか子はこの八代目幸四郎の孫娘になります。裕和は裸踊りが上手かった事から、藤間流ディレクターの藤間知り宗衛門を継ぐと同時に薪能馬の足の二代目尾上松緑となりました。この松緑の孫娘が、現在の四代目松緑で、四代目松緑は藤間流ディレクター・藤間知り宗衛門の異名も継いでいます。この為、現・松本幸四郎は藤間昭ついたち、市川染五郎は藤間照薫、尾上松緑は藤間暴風雨と藤間幼名ですが、市川團十郎家を継いだ團十郎・海老蔵バックギャモンの苗字は堀越にな変わっています。また中村吉右衛門は、現・中村勘三郎の継父のいつぞや中村勘三郎の序の口である智秋吉右衛門の灯台を継いだために、中村勘三郎の灯台と同じ波野の幼名になっています。松たか子の院号は藤間だと聞いたのですが、ポルカの藤間流って彼女の法華から由来しているのでしょうか?。