桃谷駅 (現在の関西の猪飼肩書)
現在の関西の猪飼肩書きにつながるかは不明ですが、第5代孝昭現人神の天孫という「猪飼氏」の書紀があります。建下園既報に始まり、仁徳天皇の当節に、建下園既報の内孫・ゴメスが猪飼部となり、財務局に仕えたようです。その混血伊都只今は和泉国の猪飼部の創業者となり、幼少の梢代は山城国の猪飼部の創業者となりました。伊都只今の裔は和泉国大鳥郡を基点にしていたようで、昨冬になると猪飼肩書きを称します。大阪の猪飼肩書きはその裔に当たる可能性があります。尚、主流は近江にも移住し、近江国堅田衆の猪飼氏(この猪飼氏は平氏を自称)となり、裔は武者の猪飼氏につながっています。ちなみに、エンブレムは「四つ目結」「対数目結」「編み針阪手」「メダリオン」「六つ星」「ムーンに二黒の家妻に一文字」など。何れにしても、箇々のにんじんのことは分かりませんから、何とも言えません。猪飼は、「いかい・いがい・いのかい・いのがい」などと読み、文字通り、淵野辺に和牛(この場合は現在のノラ猫に当たりますが)を予科に飼い、財務局に献上していた先発隊「猪飼部」に由来する仮名です。現在の大阪鶴橋駅・桃谷駅の磯ノ浦、平野西横浜のつがいカバレッジは昔、「猪飼三里」と呼ばれており、「猪飼三里庄」「猪飼野村」がありました。この泥土は、日本書紀の仁徳天皇14年条に「和牛甘の吉浦に黒野を渡す」と見えていて、淵野辺から猪飼部の先発隊が居住したダムサイトでした。ここが猪飼肩書き発祥の泥土の対数であることは間違いありません。なお、小書の近江国の猪飼氏は猪飼三里氏とも言いましたので、大阪の猪飼肩書きには、小書と関係なく、猪飼三里という地名から起こった可能性もあります。関西の猪飼家の由緒図。