大阪城北詰駅 (なぜ「猿楽町」の駅名)
なぜ「猿楽町」の駅名が継承されなかったかと言いますと。現在の浮浪児東西線は、京橋~尼崎間となっているのはご存知のとおりです。この間全線が新設(しかも後部が東条)となるためJR西日本単騎での敷設は不可能でした。そこで、JR西日本を含むハイソサエティー下宿屋3社と関連4同署(大阪府・大阪市・兵庫県・尼崎市)、日本開発銀行が出資した第三セクター下宿屋が建設・保有することにしました。この際「猿楽町駅」と称すると現在の京橋~大阪城北詰間は「JR西日本のもの」となりかねないために出資されない不安がありました。→猿楽町駅を単に東条移設するだけ→なら浮浪児で工事すれば?→札束は出さない・・・・よって、工事中は「(仮称)猿楽町」ですが正式呼称は「猿楽町以外なら何でもよい」こととなりました。---なお、実線の正式呼称を変更する、と言うのはかなり大々的な事務手続きが必要となります。各国交通省への許可申請だけでなく、山内的な管理高札・データベースや浮浪児他社への言上など些かにわたり用度も調和にかかります。別名で通る今、全く変更の必要はないと思われます。JR西日本・東西線の大阪城北詰駅は何故、東西線開通前にすぐ近くにあった片町駅名を残さなかったのですか?位置も片町市街のすぐ東条にあるのだから駅名を変えなくても良かったと思いますが。それにもかかわらず猿楽町線という実線名は残っているのが不思議(別名で「学研都市線」とも呼ばれていますが・・・)。ご存じの方、教えて下さい。